誰も知らない シルディサイババの少年時代

 スーフィ教の托鉢僧には子供がいなかったので彼の妻と、世話し育てた。
しかし、やがてファーキル(托鉢僧)はなくなった。

妻だけになったときに、シルディサイババらしいある行動をするのである。

少年ころのサイババは、ヒンズーの寺院に行くと、
「アラーマリク ハイ!」(アラーは神なり)
「メイン アラー ホーン」(私は神なり)と唄い

モスク(イスラム教徒の寺院)では
「ラーマは神なり」
シヴァ神はアラーなり」と唄うのである。

これに当時の大人は怒りだし、クレームの嵐がおこり、
処理できなくなり、ファーキル(托鉢僧)の妻はサイババを手放すことに
なる。

ババがこのファーキル(托鉢僧)のもとにいたのは4年間(1835〜1839年

そして、高徳な魂を持つベンクサーのアシュラムに引き取られる。
ベンクサーはババを可愛がり、何事もババに意見を聞くようになる。

1839年〜1851年の12年間

このことからもババが弟子になり、グルをもったことがあることから
グルを持つことの重要性が伺える

日本ではこの「グル」と言う言葉はある事件の記憶を
呼び起こすことになるので
マスコミにより世間に忌み嫌われることになりました。

インドの宗教ではグルはすごく重要なことなんです。

日本はすぐに神でなく人に焦点をあてた信仰をつくりあげてしまう。
日本では信仰に対する基本姿勢がなくなってしまたから起こってしまう!

しかし

人が語ることできっかけとなるが、人でなく神を見つめ求めなければ
間違った霊性修行になると思いますよ!